伊豆大島観光つづき2

え〜〜、前置きはなしで・・・とっととご紹介していきます。
お昼を食べてお腹いっぱいになったご一行様、この後は地層切断面(バームクーヘン)、波浮港大島郷土資料館へと案内してもらいました。

地層切断面、別名バームクーヘン。おおおお〜〜この大きさと長さに一同驚く!



スコリアと火山灰が噴火のたびに降り積もって重なったものです。緩やかにカーブになっているのは大地が隆起したのではなくもともとの地形に沿って積もっていったもの。道路面の近くの層でおよそ15000年前。

 

事前にここのことは知っていたのですがこれほどのものとは思っていませんでした。たぶんここに来てみないと感じないかもしれませんが、是非クリックして拡大して見てください。

波浮港に行く途中の海岸
 
 
ほとんどこれはスコリアですかね?黒い溶岩が海に流れ込みシューッと冷やされ・・・。

 波浮港の見晴らし台にある秋広平六
 像。大島の発展にはこの人なくては語
 れません。
 平六さん、今でも見晴らし台から波浮を
 眺めてます。

 
、見晴らし台から眺めた波浮港、「おたいね浦の岩脈と筆島」東京都の天然記念物に指定されています。波の浸食で筆のようにそそり立った島、周りの海岸は高さ300mの絶壁で溶岩でできた数条の岩脈が露出している。

昭和26年の波浮港、遠洋漁業の中継地でもありかつては大変な賑わいでした。


● 1200年前マグマの水蒸気爆発で噴火口ができ、そこに雨水がたまり波浮港は大昔「波浮の池」と呼ばれていました。
● 元禄16年(1703年)の南関東大地震の津波によって南端が崩れ海とつながりました。
● 寛政12年(1800年)、秋広平六の開拓事業により波浮港が開港。
(当時幕府は、南下してきたロシアとの外交において蝦夷地の経営が重要になってきており、波浮は蝦夷地に行く船の寄港地として必要だった。港の工事には5ヶ月を要し12000人もの人が動員された。伊豆からも人足だけで7140人・・・東伊豆町からも昔行った人がいるかも。秋広平六さん千葉県君津の出身、大島で貢献した後は北海道にわたり材木商で活躍。個人的なことですが北海道出身君津育ちのわたくし、平六さんにかなり親しみを感じます)
● 江戸末期そして明治、大正、戦前、戦後を通じ、「風待ちの港」として栄えた。戦前から昭和30年代にかけての最盛期には、風待ちのために停泊する漁船が港に幾重にも連なった。
● 明治には大島に文人墨家がたくさん訪れ、多くの作品を残し、波浮にも寄港していく人が多かったとか。その後、野口雨情作詞・中山晋平作曲の『波浮の港』で波浮港は一躍有名になり、大島は観光地として脚光を浴びるようになった。宮川哲夫さんという作詞家は波浮がご出身。
上の写真のように波浮はそうとうにはぶりがよかった・・・寒っ!

 昔の風情を残す波浮の街並み、遊郭も
 あったらしい・・・。
 
 
塀に書いてある文字、右から読んでください旧みなとや旅館、踊り子の里資料館になっています。川端康成「伊豆の踊子」の踊子は大島出身、実際の人物をモデルにしています。

 
当時の様子がよくわかります(ふっふっふ・・・人形です)。窓からはたくさんの船が見えたでしょうね。ただいま宴たけなわでござんす。私も仲間に入れて〜♪

 このボタンを押して下さい。踊り子さんた
 ちが賑やかに踊ってくれます♪
 このように踊り子さんはお座敷に呼ばれ
 踊っていました。
 
 

踊り子資料館は無料で見学できます。波浮の港の歴史もよくわかるようになっています。上の昔の港の写真もここにありました。いや〜実に懐かしくて楽しい資料館でした。照明が若干淋しいので大勢で行った方が楽しいよ!

 港にはこんなのもあり♪
 メロディーを知っている人が叩くべし
 野口雨情作詞・中山晋平作曲の『波浮
 の港』、さすが小林さん知っていました
 ね〜♪
 

大島に来たら波浮の港に寄るべし♪ 続く〜

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